2010 アコースティックライブ めぐろパーシモンホール ライブ感想
1月22日、東京 めぐろパーシモンホール 大ホールで、安藤裕子「2010 アコースティックライブ」がありました。
去年の夏の「東京国際フォーラム ホールA」以来なので、ねえやんに会うのは久しぶりです。といっても、今回、かなり後ろの席で顔の表情まではわかりませんでしたが。
今回も開始時間が少し早かったので、遅れて会場入りする人が多数いました。それを第一波、第ニ波と言っていましたが、会場入りを待つあいだのMCで、
「こうやって話したりするのは、まるで結婚式で友人代表あいさつをしているようですね、ってやったことないんですけどね」
ねえやんは、ときどき絶妙なタイミングで面白い。天然なのか、リハーサルしているのか分かりませんが。そういえば、最近は落語にハマっているそうなので、MCも自然とオチをつけるかんじになってきたのかな。
ラジオで流暢な落語を披露していたねえやん。観客席から「(ライブで)落語はやらないの?」との問いに、おもしろいけど、やはりむずかしい。20年ぐらいたったらやるかも。とのことだった。
セットリストが進み、一息ついたとき、なにか歌って欲しい曲はありますか? とねえやんが言うと、
会場のあちこちから、曲名が上がるが、最初に誰かが言った曲名、Yuyakeが歌われた。
ライブであまり歌われる曲ではないので、途中、「ふふ~ん」とかで、忘れた歌詞を誤魔化して歌うのがかわいかった。
「去年は自分との戦いの日々でした。それは年齢的なものからくるものなのかどうかわかりませんが… こんな歌しか歌えないのならやめてしまえ~と思ったり…」
また、自分は「おばあちゃんコンプレックス」だと語っていた。広く言えば「家族コンプレックス」だとも。
以前は「母親コンプレックス」と言っていたはずなのだが。
いつまでも元気でいてもらいたい。と泣き声になるねえやん。すると、私の周りからもらい泣きで鼻をすすりだすのがいくつか聞こえてきた。私もなにか、ねえやんがいつか「うまく歌えなくなった」などと言って、私たちの前から突然いなくなってしまうようなことが思い浮かび、妙に悲しくなってしまった。
そして、1年ほど前に母親を亡くした友人につくってあげたという新曲が披露された。「歩く」という曲だった。
とても美しい曲で感動的だった。涙が出た。私は先月祖母を亡くしたばかりだったので、よけいだった。
この曲は本当に繰り返しまた聴きたいと思った。
アンコールでは、着替えを忘れたというねえやんが、ヤングさんからはぎ取ってきたというジーンズ姿で再登場。かわいそうなヤングさんは楽屋でパンツ一枚だそうです(笑) 冗談だとは思いますが。
最後のアンコール曲「人生お見舞い」では、観客席全員強制的に起立となり、強制合唱となりました。
なかなか、声が大きくならない会場に、
「まだ声がちいさ~い!」
「自分から歌いだすんだ~! 他人(ひと)が歌ってくれると思うな~!」
「自分の人生は自分で歌うんだ~!」
と、怖いぐらい強く叫ぶねえやん。まるで学校の先生みたい、こんなねえやん見たことない。
でもその言葉は、ガツンときて、どきりと胸に刺さり、そして強く励まされました。
ねえやん、自分との戦いでもがいた分、強くなったんだな~と思った。
その歌声も、とてもとても強くなった。
デビュー数年ぐらいは、人としても歌い手としても、安定せず、弱々しいか、ぶっきらぼうかだったのに。
言い方を変えれば、安藤裕子というアーティストは、以前は今よりもっと目先の恋愛や、自身の心の内面を、良い意味でまわりくどく、繊細に歌うというイメージの人だった。
けれども、三十路を過ぎた今の安藤裕子は、人生のど真ん中に入って、生きる意味そのものを強く歌いあげる人になった。
安藤裕子の第二章がもうすでに始まっているんだな、そう感じためぐろの夜でした。
余談ですが、
先日の記事、安藤裕子は森ガールなのかで、あーだこーだと私は書きましたが、なんかあまり意味ありませんでしたね。
ライブ会場に来てた女の子は、たしかに森ガール的の子が多かったですが、思っていたよりもっと上手にねえやんをトレースしてました。ていうか、普段着のねえやんがいっぱい(笑)
あと、ねえやんの家族も、新居昭乃さんも、ラブちゃんも会場に来てたようです。