2008アコースティックライブ 長崎 活水女子大学

2008年01月26日、長崎の活水女子大学東山手キャンパス大チャペルで「安藤裕子2008アコースティックライブ」がおこなわれました。

羽田組の私は、活水女子大学東山手キャンパスのすぐ近くのホテルをとっており、ライブ開演時間までずいぶん時間があったので、ホテルに荷物を預け、長崎の街を散策することにしました。

活水女子大学東山手キャンパス

この日の夜、安藤裕子ライブの舞台となる活水女子大学東山手キャンパスは、オランダ坂を上がった高台に建っていました。ミッション系大学なので、その建物はおしゃれで落ち着きのある洋風建築で、まるで70年代頃の少女漫画の舞台にありそうな雰囲気です。

グラバー邸は、いちいち料金をとるようなので退散。中学生の頃一度行ったことがあるからいいや。

大浦天主堂は、安藤裕子ねえやんが感銘を受けたという、遠藤周作の小説『女の一生』で舞台となった場所である。この建物はよく見ると、屋根が瓦であったりする和洋折衷の建物であることが分かる。長崎の顔でもあるこの大浦天主堂は、ヨーロッパにある大聖堂のような迫力こそないけれど、真のカトリック信者達の敬虔な思いが込められた温かみのある美しさをもっている。

長崎名物のちゃんぽんを時間をかけ食べる。ホテルに戻る前に、お土産物屋でねえやんに渡すのにちょうど良い小さなプレゼントを買ってみた。実際、渡せるのかどうかわからないけれど。

ホテルに戻ってから、ねえやん宛てにはじめて手紙を書いてみる。プレゼントに添えるつもりで。便せん一枚だけれども、ねえやんへの思いを託して(笑)
手紙を書くなんて何年ぶりだっただろうか。ファンメールなら Andrew Page から出来るけど、それじゃ思いは届かない気がする。ちゃんと手書きで書く手紙だからこそ思いが届く。ねえやんの全身全霊をかけた生の歌声に応えるのに、電子メールじゃ申し訳ない。出来ればこのサイトのブログも全部手書きにしたいぐらいだ。

いよいよライブ開演の時間が迫り、オランダ坂を上り、キャンパスに赴く。情緒ある洋風建築だ。
このときの様子は、アルバム「chronicle.」のDVD収録映像にあるように、ねえやんの控室からファンがぞろぞろ集まる様子が丸見えだったようで、私もこのとき、なんとなくそうなんじゃないかと気になっていた明かりのついた一室に、まさか本当にねえやんがいたとは。建物の中も木造で、実際の建物の古さよりも、古い時代の雰囲気づくりが素晴らしいと思った。大チャペル内は、左端にパイプオルガンもある本格的な礼拝堂。白い天井にアーチ状の木の梁が支える温かみのあるもの。

ライブ開演前の注意事項がアナウンスされる。 最初は普通に流れていた女性アナウンス(たぶんヤングさん)に交じり、なにか子供のようなかわいらしい声が混ざる。「?」場内が少しざわめく。しかも、合いの手を入れるようなタイミングでアナウンスの言うことを真似ている子供のような。しばらくして、これはねえやんのイタズラであることが分かり、場内が笑いに包まれた。

いよいよねえやんたち登場。この前年、ホンシャンでの長崎初ライブでパニクッてしまったと語っていたこともあって、今回のアコースティックライブはリベンジの意味もある。会場から「おかえり」の掛け声もかかる。
ちなみに、このホンシャンでのパニックの原因を、長崎の地方紙「THE NAGASAKI No.581」でライブの翌日に語っている。

「自分の中で”鈴”が鳴っていなかったんです。それは気持ちいい場所。歌う時大切にしてる場所で、音程とか歌詞とかとも違うものなんですよ。リンリンって鈴が揺れてないと不安になる」


今夜は鈴がなっているのだろうか… めぐろと同様に「サリー」から歌い始める。

二曲目の「海原の月」のイントロが始まると、私の前の席の女の子がとなりの友人になにやらうれしそうに言葉をかける。当時、リリースされて間もない新曲だったので、やはり、この曲を生で聴けることを待ち望んでいた様子。私もめぐろに引き続き涙。

「六月十三日、強い雨」。このときまだアルバム「chronicle.」がリリースされる前のことだったので、このときは新曲として紹介された。前述の、長崎を舞台にした遠藤周作の小説『女の一生』にインスパイアされた曲である。隠れキリシタン弾圧の物語に感銘した安藤裕子にとって、この曲をこの大チャペルで唄うことに意味があるのだと、私はそのときは理解していなかったが、今はそれがよくわかる。
ねえやんは、この曲に入る前のMCで、家族や大切な人のことを思うことの素晴らしさを語り、涙声になってしまう。感受性の高い繊細なアーティスト。正直に心を裸にしているからこそ生まれる音楽や歌声なんだとあらためて思う。

東京のお客さんたちに比べ、長崎のお客さんたちは、ねえやんの曲をじっくりと最後のピアノの響きが鎮まり終わるぐらいまで拍手を控え、余韻を搾り取るようにして聴く傾向にあった。だから、私は思わず焦ってしまい、ほとんど毎曲の最初の拍手の一たたき目が私の拍手となってしまったぐらいであった。それに続く割れんばかりの拍手。こういうところにも地域性が出るんだなと感心した。時の流れるスピード、時の楽しみ方、時の貴重性、それらが東京とは違うのだと実感。そして何よりも安藤裕子というアーティストと作品に対する愛情と敬意を感じた。

終演のあと、アンケート用紙を渡すついでにスタッフの人に、ねえやん宛ての手紙を渡した。ただ、なんとなくプレゼントは渡しそびれてしまった。出来ればプレゼントは本人に直接渡したい気持ちがあったからかも。

長崎関係の写真は以下のリンク先にまとめてアップしてあります。
安藤裕子2008アコースティックライブ@長崎

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