のうぜんかつらの咲く夢の道

安藤裕子の出世作「のうぜんかつら」の原型となった、「のうぜんかつらの詩(うた)」。

のうぜんかつらの咲く道を
二人で歩いたものでした
そうよ 二人で ゆきました
のうぜんかつらの咲く道を

ねえやんのお婆さんが、ご主人との思い出を元に作った散文詩です。

のうぜんかつら

のうぜんかつらの花が咲くにはまだ遠い、花水木の花の季節、先にいったご主人の月命日、
病床で「のうぜんかつら」の歌をイヤホンで聴きながら、ねえやんのお婆さんが亡くなったそうです。

小学生の時にねえやんの父母が離婚し、お母さんが仕事で家にいなくなり、カギっ子となったねえやん。
風と会話しながら一人家路を帰る日々が続いた後、その状況を不憫に思ったのかどうかはわかりませんが、兵庫県の芦屋に家があったのを引き払ってまで、ねえやん達と一緒に暮らし、生活のあらゆる面で家族を支えることに尽力された、とてもしっかり者だったお婆さん。
寂しがり屋のねえやんを孤独にさせないということが、幼いねえやんの心を育むことにとって大切なことであることをちゃんと理解されていたのでしょう。 そして、幼少期に病気がちだったねえやんが健康体になれたのもお婆さんのおかげでした。

ねえやんが音楽活動をするようになってからも、肉体的にも精神的にも滅入ったねえやんに、
「好きなことをさせてもらっているのだから、つらいとか言うものじゃない」
と諭したりもしたそうです。

夢による予知能力があるというねえやんですが、夢のお告げでお婆さんの死を悟っていたとはいえ、心にぽっかりと空いた穴を埋めるにはまだ時間はかかるでしょう。
そしてその思いは、いつかまた新たな歌となって私たちに届けられるかもしれませんね。

お婆さんは今頃、のうぜんかつらの咲く道を、久方ぶりに再会したご主人と、手と手を取り合って並んで歩いているのでしょうか。

ねえやんを大事に育んで頂きましてありがとうございました。
おかげで、ねえやんに出会うことができ、今、私はねえやんに助けられています。
心よりご冥福をお祈り致します。

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