BARFOUT! Vol. 181

BARFOUT! (バッフアウト!) Vol. 181 での安藤裕子のインタビュー記事。
5枚目のアルバム『JAPANESE POP』 リリース前に、自身の音楽への向き合い方に変化があったことを述べている。 心を救う文化としての音楽の大切さに気付いたのだという。

BARFOUT! (バッフアウト!) Vol. 181 安藤裕子 バレエ

自分は「アルバム人間」なんだと語る安藤裕子。
何か1曲を前に出して表現できるものではないと。

これは、安藤裕子の音楽が、安藤裕子の生活の喜怒哀楽、普段の生活のリズムの中から生まれてくることからきているのではないかと私は思います。 だから、簡単に言えば、「喜怒哀楽」の「喜」の曲だけで、表現したいことのすべては語れないよ、ということなんだと思います。

また、音楽を聴く人の気持ちがあまりよく分からなかったが、でも、最近になって、音楽が提供する心の置き場みたいなものがあることの大切さが分かってきたということです。 何か別の世界に誘ってもらえることで、みんな自分の毎日を乗り越えてるんだと。

「あまり他人の音楽を聴かない」という発言をしていたぐらいの安藤裕子。 極端に言えば、分からないまま、また、分かろうとせずに、ひたすら「創りたい」という衝動だけで音楽の道を突き進んできたのだろうか。

頭でっかちになって、慎重すぎてつまらないA型人間の私なんかからは、「さすがB型人間だなぁ」って思います。 私はデタラメな論理ででも自分を納得させない限り、なかなか先へは進めないタイプなので、羨ましいところです。

「どうして私は走っているんだろ?」その意味を、全力で走り続けて何年か立ってから、ふと立ち止まったときに気付いたということでしょうか。 だとすると、ある意味とても人として純粋なんだなぁと思ってしまいますが、実のところは、ウジウジと考え続けた挙句の結論が、最近になってようやく定まったというところだと私は考えますが。

それにしても、結論が出るよりも先に、まずは飛び込んで、走り出してからというのが素晴らしいんです。
凡人は、あーでもない、こーでもないと考えて、それで十分考えた気になって行動にまで移さないものなんですから。

近年における安藤裕子のバラードの名曲 『歩く』 が生まれるきっかけが語られていたので、資料として以下に抜粋しておきます。

ちょうどツアーに出ている時で、楽しいと苦しいの混在で精神的に追い込まれていて、電話に出たくないから、名前が表示されないようにしてたの。 その時も夜中だったから出ないつもりだったのに、ふと見たら、表示されないはずの名前が出ていて。 その子は夜中に電話をかけてくる子じゃないから、何だろう?と思って出たら、「母ちゃんが死んだ」って泣いてて。 小学校の頃から、わたしはその子のお母さんに、「アンコ」って呼ばれてたんだけど、「ちょっとアンコ、(電話に)出てやって」っておばちゃんに言われたのかな?って。 お通夜は手伝えなかったけど、その子が、「ちょっと母ちゃんに曲作ってよ」って言うから、「じゃあ私は曲を作るよ」ってつくったのがこの曲です。 <夜は走り去る>とはあるけど、人の人生って、やっぱり1歩1歩歩いていくものだと思うから、「歩く」というタイトルにして。 <やがて空は動いて そっと星を降らす 終わる今日を流して 夜は走り去る>の最後の2行を歌う時、清々しくて、前向きに進んでいく気持ちになるの。 今の本当の自分は弱々でダメダメなんだけど、この2行を歌う時は、自分が強くなった気がして、「あ、明日の扉を開けられるな」って、すごく自信に満ちる。

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