ジェイヌード (j-nude) Vol.131
2012/3/1 フリーペーパー 『ジェイヌード Vol.131』 のインタビュー記事において、安藤裕子の「人生の分岐点」からの変化について語られているので、少し掻い摘んでご紹介。
前作『JAPANESE POP』の後、心身ともにバランスを崩して休暇をとり、それが明けてすぐに、東日本大震災、自身の妊娠の発覚、そして、育ての親だった大切な祖母の死を連続して経験し、音楽を届けたくても思うようにできない、そんな生と死をみつめた「人生の分岐点」から、アルバム『勘違い』の楽曲を生み出した。
のちに、チャリティCDとしてリリースされた『地平線まで』は、被災地の方々の大変な状況を少しでもわかちあいたいと、大切な人との別れの想いを曲に込めたという。
デビューから、安藤裕子の人生の分岐点は何度かあったが、そのたびに自分の信じる道を選んできた。
これまではゼロから100まで自分の思い通りにできないとイヤだったが、人に任せるということをなんとなく覚えたのは30歳を超えてからだという。
一方で、母になることがずっと夢だったという安藤裕子。
「子どもは明日へと私を強引に導いてくれて、自分にばかり向き合ってきた時間を奪ってくれているありがたい存在。 『お誕生日の夜に』や『鬼』は、子育てをしながらふっと自分に戻った時間に自然と出てきた曲です。 かつては1曲1曲への思い入れが強すぎたけれど、今は目の前の曲をがんばって素直に歌っているので、自分とちょっと距離がある。 純粋に歌を歌いたくてただ楽しんで作っていた初期のころの感覚に近いですね。 34歳は人として中途半端な年齢だけれど、今の自分ができるかぎりのことを精いっぱいやっていきたい」
これまで、つくる曲の1曲1曲が我が子のような存在だったのが、本当の我が子が出来たという大きな人生の分岐点にいて、自らの音楽に対して客観的な視点がもてるようになったということだろうか。
自身から生まれ出た音楽でありながら、距離をおいて相対する。 安藤裕子は常に新しい分かれ道を選び進んでいく。 私はそれをいつも新鮮な気持ちで見届けていけることを、今あらためて幸せに思う。