「MARQUEE (マーキー) Vol.90」 インタビュー記事

「MARQUEE (マーキー) Vol.90」において、アルバム『勘違い』についての安藤裕子へのインタビューがありますので、安藤裕子の気になる内容の言葉だけを、ほんの一部、掻い摘んでご紹介。

~アルバムが出来るまで~

「私はいつも、最初にアルバムの方向性とかは考えず、曲ができていく中で今回はこういうアルバムだって分かるんですけど…」

「自分が曲を作るようになった二十歳くらいから2010年頃までの時間って、デビューはしているけど、あまりそこは境目になっていなくて。 曲を作る、歌うって作業をただただ続けていただけって感覚だったんで。」

「2010年くらいに自分の体のバランスが崩れてきたんです。 体調が悪い時間が多くて、曲はできるけど、歌う自分が見ない時間だったんです。 だから、夏と冬に1~2カ月くらい休ませてもらって外国に高飛びして(笑)」

「2011年になって、海外から戻ってきたけど動ける気がしなくて。 そうするうちに震災が起きて、今度は自分に子どもがいることが分かったんです。 同時に、私を育ててくれたおばあちゃんが亡くなってしまって。 あと、震災で家族を亡くした多くの人を毎日映像で見たりで、素直に子供ができたことが喜べない感じはありましたね。」

「ほんとにいっぱいいっぱいの日々だった。 アコースティックツアーもどうにかやり遂げたかったんだけど、いろんなストレスが溜まったのか倒れてしまって。 倒れたから、妊娠の状態もよくなくなって妊娠後期は寝たきりになってしまったんです。 でもちょこちょこレコーディングは進めて、よろよろしながら歌ってたんです。 あと2曲を残して出産に入ったんです。 ただ出産も大変で、そのおかげで、2ヶ月は寝たきりになってしまったんです。」

「ほんと、ひとときも緩やかな時間の無い中で作られたアルバムなんですよね」

~アルバムタイトル『勘違い』について~

「最初、タイトルは『永すぎた日向で』になると思ってたんです。 なぜかというと、それが、このメチャクチャな私の時代のコアな曲だと思ったから。 でもそれをタイトルにしてリード曲にしたら、このまま安藤裕子の音楽が幕を閉じてさよならしなきゃいけない気がして。 で、“鬼”とかを録り終えて、もっと開けたものがいいなと思えて。 『勘違い』が自分を象徴しているような言葉だし変えようと」

~『エルロイ』について~

「声を荒げたかったんじゃないですかね。 やっぱり溜まっていたんじゃないかな。 私、人前であまり声を荒げたりしないタイプなので、ヘラヘラしてて(笑)。 私生活で怒ったり泣いたりもしないし、溜めちゃうんだと思います。 音楽も優等生的なものを長くやってたし、体が塞いでく中で発散したかったんだと思います。」

~曲作りについて~

「“すずむし”は、実は二十歳くらいからあった曲で、ずっとスタッフに却下されてたんです(笑)。」

「私、曲作るときって歌詞を紙とかに書かないんですよ、歌として歌詞があるから書かなくて」

メモは? 
「基本脳みそで保存してます(笑)。 忘れちゃうものはその程度のものだと思って、覚えてるものを曲にしていくんです。 で、この曲はこれだけ長く覚えてるから、きっと何か縁があるんだろうなって。 ただ、頭にあるから歌詞を客観視しないんです。」

~“地平線まで”について~

「私、人が亡くなったりした時に、フレンチホルンの音が(頭に)聴こえるんです。 この曲は、震災があって家族を亡くした男の人が、ショックや悲しさを通り越して、無表情で語ってる姿をテレビで見て、それがすごく苦しかったんです。 この人にもひとりでポロポロ泣ける時間ができればいいのにって。 これはそういうためにある曲だと思います。」

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