『海原の月』 PVロケ地 No.1 行川アイランド篇
2007年8月4日 「海原の月」 Promotion Video Shooting、あれからちょうど5年後になる今夏2012年8月4日に、私は同日行われていた、安藤裕子も参加していた「ROCK IN JAPAN FES.」に足を運ぶことなく、勝浦の海と緑に会いに、日差しと雨と波と風にもまれてきました。
「海原の月」 PVロケ地は、PVロケが行われた翌年の夏から毎年行こう行こうと一度は心に決めるのですが、「やっぱ遠いなぁ」、「場所がけっこういわくつきだなぁ」、「どうせ閉鎖されちゃってるんでしょ」などと自分に言い訳をして、いつも8/4の直前であきらめてきました。
でも、ここに行かずして、これまで不定期にでもやってきた安藤裕子「聖地巡礼」シリーズは成り立たないぞと自分に言い聞かせ(笑)、今年は気合いを入れた次第です。
行川アイランド入口正面や駐車場のあたり
このPV映像の場所は、雰囲気は似ていますが、山向こうの園内側だと思われます。
「海原の月」の主なPVロケ地は、千葉県勝浦市にかつてあった、1960年代にフラミンゴショーなどで有名だった南国風の動・植物園としてのレジャー施設「行川アイランド」(なめがわあいらんど)の跡地というか、建物などはほぼそのまま残されている廃墟です。
その名もずばりの「行川アイランド駅」という駅名から往年の賑わいを感じとれる無人駅があり、そこで外房線の列車を降りて道路を渡ってすぐのところに廃墟は存在します。 まさに人っ子一人いないところでした。
ただの廃墟でも怖いのに、この周辺は、昔からかなりの「いわくつき」の地だったのです。 (周辺住民の方、申し訳ございません)
この近くに「おせんころがし」という断崖絶壁があるのですが、その名の謂れそのものも悲しい物語をもっていますが、さらにその名のついた1952年におこった悲惨な連続殺人事件の舞台の一つでもあるということで、霊感体質がわずかながらある私はビビりぎみであるわけです。
とりあえず、行川アイランド入口ゲートのところで、スマートフォンにあらかじめ取り込んでおいたムービーの確認をしていたところ、上のPVやPVメイキング映像と、ちょうど今、目の前にある光景が同じであることに、ハッと気づいてびっくりしたのでありました (笑)
5年の歳月で、錆びやら塗装の剥げなどの劣化が進んでいます。
ねえやんがいた改札ボックスに入り込んでみると、写真ではわかりにくいですが、大きな蜘蛛の巣が張っていました。 ねえやん目線で見ると、正面は入園券売場になります。
堤幸彦氏の映像マジックで神秘的に見えていたせいか、私は、安藤裕子ねえやんが、なにやら不思議なお風呂みたいなものに収まっているように見えて、まさかあれが改札口だったとは気づきませんでした。
(これ私だけ?)
ゲートを抜けて左に行くと、いよいよ山向こうにある行川アイランドへの入口となるトンネルが現れますが、悲しいことに立入禁止の立て看板とともに封鎖されてしまっています。
行川アイランドは2001年の8月の終わりに閉園されているので、2007年当時のPV撮影チームは特別許可をとって入ったのでしょう。 私も許可をとれば入れた? 誰に許可とるんだろ (笑)
かつてここは軍事施設であったらしく、その名残として園内に多くあるという洞窟(トンネル)は弾薬庫だったとのことです。
そういえば「海原の月」のPVとPVメイキング映像中に謎の小さなトンネルがいくつか出てきてましたね。
ここまでが、行川アイランドでの探索となります。
もちろん、来る前から行川アイランド跡が封鎖されていることは知っていたので、ここでは、正直ほとんど何も得られるものはないだろうとあきらめ半分でいたので、改札口のところの発見は思わぬ大収穫でした。
あと、PVのメイキング映像中のロケ地で激しく鳴いていたセミの声の同じさ加減にも地味に感激。
次は、 『海原の月』 PVロケ地 No.2 岸壁海岸篇 に続きます。