『海原の月』 PVロケ地 No.2 岸壁海岸篇
『海原の月』 PVロケ地 No.1 行川アイランド篇 からの続き
封鎖された行川アイランド入口トンネルからそれ以上先へは進めないので、園内での撮影シーンは絶望的でした。 ということはつまり、そこも『海原の月』 PVロケ地として利用されたであろう、園内のその先にある岩場の海岸へも、ここからは辿り着けないということになります。
地図を見ると、どうも「浜行川」という漁港側から岸壁伝いに廻り込めるのではないかと判断。
「よし、行けるところまで行ってみよう!」
このPVロケ地探索、天候は最初からずっと不安定でした。 カンカンに晴れたり、小一時間の間に風とともに雨が降ったり止んだりを繰り返しました。
港に辿り着いたときには雨混じりの潮風が全身を横殴りに吹き付けてきましたが、霞む先数百メートルに岬が見えていて、あそこをとりあえず目指すことに決めました。
港では網を直している漁師のおじさんに声をかけ、一応向こうの岬までここから辿って行けるかを確認。
おじさんは、「行けるには行けるけど、岩場がすべるよ」とのこと。
果たして、あの見える岬のさらに先にあるであろうロケ地まで辿り着けるか? まったく不明のまま、岩場に神経を集中させながらテクテク歩いていくことにしました。
それにしても、まあ、フナムシの多いこと、多いこと。 私が一歩岩場の上を歩くたびに、その先で大小様々な百匹近い「まっくろくろすけ」がゾワゾワァ~って一斉に散るような、凄まじい様でした。
(まっくろくろすけと一応美化しましたが、実際のところは大量のゴ○○リです)
さすがのねえやんも、PVメイキングビデオ中で、おぞましいものを見るかのごとく怖がっていましたね。
岩場は、すべることもそうですが、足を置くごとにグラグラゴロゴロ動くのでそれが怖かったですね。
そうやって岩をゴロゴロさせながら歩いていると、なにか建物の跡のようなコンクリートでできた少し高くなっているところから、私の接近に驚いたのか、急に大きな鳶が羽ばたき舞い上がりました。
瞬間、イヤーな予感がしました。
「ぅあー、なにかあるな…」 私の幼少期に、地元の海でこれに似た経験があったからです。
コンクリの上に上がってみました。 すると、やはりありました。
頭が半分以上食われて無くなった大きなウミガメの青くなった死骸でした。
幼少期のときは、大きなアザラシの死骸でしたので、それに比べればショックはまだ小さかったのですが、やはり気分はブルーに。
やがて、海側から雨が激しく叩き付けるように降ってきました。 折り畳みの傘でも持ってくればよかったと思いましたが、風が強くて結局は役に立たなかったでしょう。 私は汗拭き用のフェイスタオルを頭にかぶり、ひたすら岬を目指し岩場を前進していくのでした。
まるで何者かが行く手を阻んでいるかのごとく雨脚が強くなり、びしょ濡れになって弱気になると、少し手加減をするかのように小雨になったり。 数百メートル続く岩場を歩く間にそんなことが何度も繰り返されました。
ようやく岬に辿り着くと、そこには小さな赤い鳥居が海原を見つめるかのように岸壁沿いに立っていました。
不思議と何度も激しく降り注いだ雨は、この鳥居がつくる結界を破ろうとする無礼な私に対して、ここにいる神様が禊を求めたのではないかと、ふとそんな気がしました。
岬の周りは少し平らで広い岩場があり、なぜか大きな生簀のような古いコンクリート製の人工物もありました。
波打ち際はわかる範囲で数十メートルほど浅瀬が続いていました。 (実際は数百メートルかもしれない)
PV中でも、ねえやんが海の上で椅子に座っていましたね。(桟橋のような人工物の上でしたけど)
PV中、短いカットで登場する岸壁。 右のカットは下の写真の岸壁の向こう側(反対側)から撮影したものではないかと思うぐらい似ています。
上のPV中に登場する岸壁に似ている。 この岸壁のその先がおそらくPV撮影現場だと思われます。
岸壁のその先に行きたくて、少し足に波をかぶりつつもギリギリまで行ったのですが、残念ながら軽く泳いで渡らない限り無理のようでした。 そこへ行くまでの間にも、何度も強い雨がたたきつけてきました。
本当に不思議な感じで、一歩一歩進むたびに、まるで「行くな、行くな」と言われているようで、短い間隔で雨が激しく降ったりやんだりするのです。
あともう一歩のところだったのですが、あきらめざるを得ませんでした。
そろそろ帰らないと潮が今より満ちて帰れなくなるんじゃないかという心配もあったのでそのまま引き上げることにしました。
帰り道には雨も弱まり、港に辿り着く頃には海の向こうの空が少し明るくなったのでした。
行川アイランドは、日本有数のアジサイ園でもあったらしく、近くには夏の盛りだというのに紫陽花がひっそりと日陰に咲いていました。
自然は、晴天の美しさ、生命の輝きを見せるけれど、同時に、激しい雨と風、そして命の残酷な終わりを見せつけもします。
そして人の世も始まりと終わりがあり、その間に様々な命のドラマがあります。 生と死を包含するこの世の摂理を、都心からそうは離れていないこのロケ地巡りの小さな旅で私はわずかに体感できたような気がします。
堤幸彦監督は、漂うクラゲを生命の象徴として、映画本編だけでなく『海原の月』のPVにも登場させ、生命の愛おしさを奏でていました。
「泣ける4コマ漫画」を原作にして「泣ける夫婦愛」を描いた映画『自虐の詩』として昇華させることが出来たのも、主題歌『海原の月』の力添えがあってこそでしょう。
自ら『海原の月』 のPV監督までしたわけですから、この曲に対する思いはかなり強かったのだと思います。
実は、堤監督は20代の若かりし頃、奥さんと死別されています。
病気になった妻を支え、治療費を稼ぐために身を粉にして働いた日々や、結局は亡くなってしまった奥さんとの思い出を美しく留めるため、自らの映画とこの『海原の月』 という曲が必要だったのではないか?
私は勝手にそんな風に思っています。
それでは、安藤裕子の至極の名曲、『海原の月』 のPVをあらためてご覧いて、『海原の月』 PVロケ地巡りの旅を終えることにします。