『シネチュウ vol.5 特集 女』 インタビュー記事

慶應義塾大学[福田和也研究室]が出版する、映画を中心としたカルチャー雑誌『シネチュウ vol.5 特集 女』に、安藤裕子10周年アニバーサリー・スペシャルインタビューが掲載されています。

シネチュウ vol.5 安藤裕子

「特集 女」、「女が憧れる、女。」として安藤裕子が選ばれたのは大変興味深いところです。

学生さんが編集した雑誌ということでは、以前にも音楽専門学校生によるフリー雑誌『makers core 2010年12月号 (No.6)』がありました。 こだわりをもったクリエイティブ系の学生さん世代からは、安藤裕子は年齢的にちょっとお姉さんで、身近な憧れの存在として映るのでしょうか。

また、学生時代に映画業界に憧れをもっていた安藤裕子には、かつての自分を見るような、かわいい後輩のように思えたのかもしれません。 そのためか、このインタビューでは安藤裕子のプライベートな過去や現在を事細かに語っており、とてもリラックスした雰囲気でインタビューに答えていることが伺われます。

以下、まとめ

[ 学生時代 ]
映画の道に進みたいと思ったけど、何を専攻していいのかが分からなかった。 大学では、女の子の会話や女子大の空気に馴染めず、好きな授業だけを受講する割り切った学生生活をすごしていた。 このまま大学生活を送ると後悔すると思って、実際に映画の現場に携わってみたいと思い、いろいろアクションをおこすが、映画制作の道は厳しいと説得され、出演する側としてエキストラをはじめる。

判明したこと… 安藤裕子は「迷ったら進まないタイプ」

[ 少女とオトナの間を揺れる視点 ]
人間は「三つ子の魂百まで」として、もともとの性質は変わるものではないと。 だから、少女のようでオトナというのは、ただ単に子供っぽいってことで、でも年齢を重ねて大人としての意見もわかるようになるということ。 若い頃は、大人の痛みを理解できず、自分はただ単に傷ついた子供の立場でしか物事を見ることが出来なかった。 子供な部分を出さないように我慢している大人の方が偉いと。

判明したこと… 安藤裕子は、上記見出しのようなことを自分では全く意識していない。

[ 10周年の節目 ]
音楽活動の区切りとして、学生のころから構築していたものが形になったのが『chronicle.』。 これを節目としてベストアルバムを作った。 その後は、迷走のモヤモヤの時代を生きていて、今はふにゃふにゃ~っとしたなかでただ作品を作っている。

判明したこと… 安藤裕子にとって「節目は数ではない」

[ 母親になって ]
『JAPANESE POP』の頃は、体力的にも精神的にも辛くて苦しく、他人から自分が”どうみられているか”を含めての音楽制作だった。 けれど、そういう時のほうが作る曲が明るい。 母親になってからの音楽への向き合い方は割といい加減。 音楽家としての自分に興味が薄れつつの状況で他人の目を気にしなくなり、プライベートに近い”素”で作っているためか、今は暗い曲が多くなっている。

判明したこと… 次回アルバムに”お母さん”っぽい曲は、今のところゼロ。

[ "男" になってみたい? ]
男に生まれたかったと思ったことはない。 ユタ(沖縄・奄美地方の霊媒師)からは「あなたは男にうまれるべきだったねぇ」と言われた。 自分自身が男っぽいため、女性とどう接していいのかわからずに馴染めなかったり、女の子の会話を聞いても女の子の思考がわからない。 だが同時に女性のたくましさに憧れ、自分の母親に憧れ、中学生の頃には自分が “お母さん” そのものになりたいと強く願うようになった。

判明したこと… お母さんに憧れすぎて、初期の曲にお母さんっぽい曲があると言われることがある。
あの曲とかですかね)

(お母さん、おばあちゃん、姉が二人いる女だらけの家族だったのに、”女性に馴染めない”というのはおもしろいですね。)

[ 憧れだった "お母さん" ]
“お母さん” になれた安心感はある。 でも、産んだからすぐお母さんというわけではなく、自分はまだ発展途上のお母さんの途中。 表現することに憧れてこの職業についたが、自分はふつうの生活ができるんだろうか? 本当の自分はどこに行けばいいんだろう? と思っていたから、家庭をつくれたというのは有難かった。

シネチュウ vol.5 安藤裕子

[ 秋の大演奏会 ]
産後しばらくは体調を崩していて、身体も心も音楽に向かっていなくて、人前で歌うことが怖かった。 でも秋の大演奏会は、多くのパフォーマーと一緒にやることで音楽の楽しさというのを教わった。 DVDで沢山の人にみてもらえるのは嬉しいけど、自分の映像を見るのが苦手。 映像だと、その瞬間の自分が緊張している様子が100倍のオーラになって降り掛かってきてすごく苦しい。

判明したこと… 安藤裕子は、普段の自分のライブだと、死ぬかもしれないという感じで歌っている。

[ スペシャルプレミア・シンフォニック・コンサート ]
バンド音楽は”ゆれ”だと思っていて、いつもは、そのゆれのなかに共鳴をさがしながらやる感覚。 でもフルオーケストラとのライブは、譜面を演奏している整頓された音のなかに、ゆれをつかさどる歌がはいって、その歌と一緒に演奏してもらう。 歌はどこまで演奏によっていくべきなのかなど、どうマッチするのかという不安があるとのこと。

[ アコースティックライブ ]
出来るだけお客さんとの距離が近く感じられるようにとやっているのがアコースティックライブ。 バンドライブに比べてもっと個人的な感じで、安藤裕子の音楽のパーソナルな部分が多いと思う。 次のライブは、タカシくん(山本タカシ)のスケジュールがあわなくて違うギタリスト(設楽博臣[愛称:たらちゃん])とやることで、違う雰囲気の舞台になるのではないか。

[ "女" の映画 ]
“女” で思い浮かぶ映画というと『サンダカン八番娼館 望郷』。 これは “女” というものを考えさせられる映画。 映画の中のように懸命に生きた人たちに対して、平和な時代を生きている自分を恥ずかしく思うのと同時に、自分はラッキーなんだという安心感がある。 今は昔と比べると女性が守られている社会が先人たちの戦いのなかで築かれているが、本来、女は弱い生き物。 今の平和のありがたみを感じるからこそ平和を望む。

私の感想
『chronicle.』でやりたいことを一通り出し切った、ということのようですが、「あぁ、やっぱりな」という感じは正直しています。 『chronicle.』の後、なかなかニューアルバムが出なかったのも、すぐには納得の出来る形がつかめなかったのでしょうね。
そしてようやくリリースされた『JAPANESE POP』も、曲から受ける印象はこれまでとは明らかに変化していましたし、私にはちょっと首をかしげてしまうような、どこか納得出来ない感覚があったのは、単なる錯覚というわけでもなかったということでしょうか。 アルバムに携わった自分以外のアーティストのことばかりをやたらと褒めていたことにもどこか不自然さを感じました。
参照: JAPANESE POP アルバム印象

『勘違い』で持ち直したと私は思いましたが、どうも安藤裕子本人はあまり納得していない様子。 次回のアルバムでは自ら生み出す曲は暗い曲ばかりだと言っており、だからこそ今、アルバム全体のバランスをとるために宮川弾氏らと曲作りをしているんだろうと思います。
自ら生み出す曲はそのままでいいと思います。 アルバムとしてバランスをとることについては、どちらかといえば気にするアーティストだと思いますから、結局はそれなりに緩急のついた良い感じのアルバムに仕上げてくるのだろうと期待しています。

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