Nuugy ヌージィ 2013 AUTUMN VOL.010
安藤裕子が連続して表紙と巻頭グラビアを飾る Nuugy (ヌージィ) 2013 AUTUMN 。 「髪とメイクで女は変わる。」のコピー通り、安藤裕子の「表と裏」両方の顔を見せるグラビア写真のギャップがすごい。
天使のようなかわいらしさで明るい美しさを湛えたナチュラルメイクの安藤裕子。
それに対して、正直ちょっと怖いアーティスティックでクールでアダルトなメイクの安藤裕子。
どっちも現在進行形の安藤裕子。
この両極端のバランス感覚は次回のアルバムのイメージかも? なんて、なんとなく。
安藤裕子の軌跡をつづる連載の第二回「Follow The Tracks of Yuko」は、安藤裕子がデビューミニアルバム『サリー』でデビューしたところから語られています。 以下はそのあらすじとして、記録しておきたいところを中心に箇条書きでまとめてみました。
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『サリー』リリース当時、毎週、週2回くらいの頻度で、社内スタジオをプリプロルームとして使い、もっさんが弾けないギターを弾いたり、アンディがドラムを叩いたりして、音をみんなで探しながら音楽をつくっていた。(途中からスタジオが使えなくなって会議室で)
『サリー』が世間での評価が得られず、少なからずショックはあったが、音づくりの野心が前面にあったため(今は全然ない)、そのうちリスナーにも良さが伝わるだろうという自信があったのであまり気にせずに音づくり作業を楽しんでいた。
デビュー前のプー太郎人生を越えての開き直りの自信家だった安藤裕子。 当時はホームページに寄せられたコメントも全部チェックしてファンの支えを感じ、必要な質問には返事もしていたという。
二枚目のミニアルバム『and do, record.』からはジャケット制作からディレクションまで全て自分でやることになる。 この頃の憧れの人は女優の桃井かおりであり、彼女のタバコを吸うカッコいいオンナのイメージと、ファンタジックでポップなチグハグしたバランス感覚で、当時も今もまったく吸えないタバコに火をつけて撮影した。
ファーストシングル『水色の調べ』のジャケットをイラストにしたのは、顔を絶対出すことが必須条件とされており、二枚連続で顔の寄りで嫌だから、『and do, record.』の白版(関係者向けサンプルCD)での実績もあり自画像のイラストにした。
ファーストフルアルバム『Middle Tempo Magic』のジャケットが『隣人に光が差すとき』のイメージが使われたのは、この曲をアルバムのリード曲として譲れないという気持ちからであった。 周囲からこの暗く重い曲をリード曲とすることを反対されたが、安藤裕子自身にとって音楽をやる上で核になっていた曲だったので、「この曲じゃなければ、シンガーソングライターとしてやってる意味はない」と、当時はそこまでの覚悟でいたが「今はあんまりない」と(笑)
セカンドシングル『あなたと私にできる事』は、子どもの頃からの友人の結婚を契機に作った曲で、デビュー前に作った『君と僕にできる事』というまったく別の曲があり(メロディすら思い出せない)、それをもじってタイトルとした。
サードシングル『Lost child.』は、目のまわりが湿疹まみれになったとき、皮膚科に向かう道すがら口ずさんだメロディをそのまま曲にした。
4枚目のシングル『さみしがりやの言葉達』は宮川弾氏のポップな曲をアレンジし直しユーミン風にして完成させたが、売れ行きは悪く危機感を覚える。(日立のCMでのタイアップ曲だったのにね)
月桂冠のCMで『のうぜんかつら(リプライズ)』でようやく注目を浴び、続くセカンドアルバム『Merry Andrew』がオリコン10位に入って首の皮が繋がる。 『ポンキ』はもともとしっとりした曲だったが、アンディの提案でポンキッキで流れている曲風にアレンジし、このタイトルとなった。 『Green Bird Finger』は四谷のグリーンバードっていうスタジオでつくり、もっさんのピアノの指使いが印象的であったことからこのタイトルをつけた。
アンディはデビュー前から、安藤裕子のことをまったく可愛いなんて思っていなくて、ファッション雑誌の仕事が急にふえて、もしかしたら可愛いのか?と初めて気づいたという。
5枚目のシングル『TEXAS』は、『サリー』に立ち返り、”安藤裕子の代名詞=『のうぜんかつら(リプライズ)』”のイメージを払しょくしたかった。
6枚目のシングル『The Still Steel Down』のジャケットは「森のくまさん」をテーマに軽井沢の森で撮影。 熊の中身はヤングさん。
全国ツアーのライブでは慣れないバンドスタイルと人前で歌うことによる疲労が半端なく、また、ライブでスタジオ用の歌い方をして、人前で聴かせる歌になっておらず、途中からボイトレに通うようになった。
サードアルバム『shabon songs』が安藤裕子本人が一番好きなアルバム。
7枚目のシングル『海原の月』。 すでにほぼ出来上がっていた映画の絵に合わせ、イントロなどは声を何層かに重ねたりして作っていった。
アコースティックツアーが2008年からスタート。 翌年2009年には14本まわる。 当時はやればやるほど分かってくることもあり本当に充実していた時期。 ただ、胃腸炎もどんどん進んでいったという。 (たしかに、この時のツアー中、私が突然サインをお願いした時は油断していたようで、お疲れ具合が全身からフラフラと滲み出ていました)
8枚目のシングル『パラレル』は、明るい曲、生々しい曲がやりたかった。
フォースアルバム『chronicle.』では、これまで3人で作り上げてきた音楽が、ひとつ、かたちになっちゃったという感じ。
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デビューからのおおまかな流れはファンなら知っていると思いますが、その時々でのレアな初耳の小ネタが貴重でした。
あと、やはり、今現在の安藤裕子は、音楽と自分自身の距離が少し離れているようですね。
以前は、作る音楽と安藤裕子自身がほぼ一体のようで、日々の生活も音楽制作に明け暮れ、若さもあり、”生きることはつくること”ぐらいの勢いと自信をもって突き進んでいたように思えます。
特に出産後に顕著に変わった事実だと思いますが、それ以前の『chronicle.』前後に自身の音楽との関わりの変化に漠然と不安感を口にするようになり、それ以降、自身で作る音楽を俯瞰しているような微妙な距離感が生まれたように私は感じます。 それが結果としての距離感なのか、掴みきれないことによる中途の距離感なのかは今だ私も判断できず、安藤裕子のリスナーとしての私の不安感にもなっているところです。 ただもちろん、熱い情熱を秘めた一体感のある曲であること、少し距離をとりつつも音楽としての高い完成度を目指すこと、どちらも安藤裕子の音楽として私が楽しんで聴いていることに変わりはありません。
私なりにこの状況について妄想し、クリエイターとしての安藤裕子を少し変わった例えですが、”活火山”に当てはめてみることにしました(笑)
デビュー以前から数えて、音楽を作り続けて15年以上が経ち、これまでは熱い情熱という溶岩がはじけるようにして音楽を作り続けていたけれど、現在では噴火は一旦落ち着きをみせ、ふと気づくとまわり一面に飛び散って冷えた溶岩石が転がっている。 そんな、冷えることによって形をもった溶岩石を安藤裕子自身で拾い集めてきて、「さて、これらを使ってなにか作れないかな?」と思案し、悪戯げに手探りしているのが現在の状況なのでは。
たしかに勢いのある、『隣人に光が差すとき』の時のような「理由や根拠のある」激しい噴火の時期は過ぎて、アーティストとして、また人としてのバランスをとるべき平穏な時期にきているのだろうけれども、今でも安藤裕子はものづくりについて変わらず至って前向きな思考であると私は考えます。
先日、富士山が世界文化遺産に認定されましたね。 富士山はかつて何度もあった激しい噴火により形作られ、今は独立峰として完成された優美な姿を保っているようにみえます。 そして、その大らかで穏やかな佇まいはもちろん、季節や天候で変化して様々な美や激しさを見せることでも人々を魅了し、やがて霊峰として称えられるまでになりました。
ただ、富士山は決して休火山ではなくいつ再び噴火してもおかしくない活火山。 時を経て再び激しい活動期に入ることも十分にあるでしょう。 全く新しい富士山の姿かたちになるかもしれません。 当然、現在の富士山を愛でる者がそれを望むわけもありません。 今さら原型を留めないほどの変化を求めはしないけれど、季節や天候できらびやかに変化する魅力は持ち続けて欲しい。 それが願いのはずです。
少し大げさな例えですが、安藤裕子の音楽もそのように捉えてみるのも良いのではないかという気がしています。 今多くを求めるよりも、それを愛でる人の人生のとなりにいて、流れる時とともに日常に彩りを添えてくれることを願うこと。 キラキラと輝きながら絶えず変化し続ける音楽であってほしいと思います。