はっぴいえんど 『風街ろまん』
安藤裕子が音楽を志し、曲作りのお手本として最初に手にしたアルバムがはっぴいえんどの『風街ろまん』でした。
大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂の4人のメンバーで構成されたはっぴいえんどは、日本語でロックを歌うことを定着させたパイオニアとも言える存在。 先日、大瀧詠一さんが亡くなられましたが、多くの音楽雑誌などが追悼特集をしており、日本の音楽業界に多大な功績があったことを伺わせます。
はっぴいえんどが解散してからずっと後に生まれた安藤裕子が、音楽の指南書探し中にこのアルバムを手に取った理由が、なにげにジャケットを見て「お、細野晴臣じゃん、若いな」的なノリだったらしいのですが、これが安藤裕子にとっては運命的な出会いで、のちに安藤裕子が音楽で世に出る後押しをしてくれた恩人である堤幸彦監督との縁を取り持ったのもこのアルバムだと言っても過言ではありません。
はっぴいえんどとの出会いについては、以下の記事で具体的に安藤裕子本人が語っています。
参考: WOWOW 渋谷Live! ザ・プライムショー 出演
1970年代初頭に「日本語ロック論争」なるものがあり、ロックは英語で歌うべきか、日本語で歌うべきかの論争が繰り広げられていたそうですが、そのロックのメロディーに日本語の歌詞を乗せることを是とする決定打となったのが、1964年の東京オリンピック以前の失われてしまった東京の風景を懐古的な想像で描いたという、この『風街ろまん』だったのです。
全く時代が異なるので、現代人が想像するロックの世界観とは隔世の感がありますが、高度経済成長時の未来志向でめまぐるしい時代の激流に、懐古という形で逆らおうとする姿勢はたしかにロックですね。 70年代を象徴する”しらけ”の最先端だったのかもしれません。
『風をあつめて』 はっぴいえんど