3. 本/雑誌
特集「音楽とファッションとエモーション」の文字とともに、安藤裕子のデビューに深い縁があるCharaさんが表紙を飾る『装苑 2014年2月号』。

「音楽を持って、素のままで人の前に立つというのは、私にはとても難しいこと。 舞台では、私はピエロのようなものだと思っています。」
自身をピエロに見立てたジャケットのセカンドアルバム『Merry Andrew』で履いたクリスチャン ルブタンのアンクルブーツを紹介。
「ファッションやメークは音楽をなりわいとする私が人前に立ち、怖いことをがむしゃらにやるための仮面なんです」
「音楽もファッションも作り物。 音は整っているより何か違和感があるほうが、言葉も少しくらいとげがあるような、アンバランスなくらいの表現にひかれます」
2014年1月8日 23:09|
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Nuugy(ヌージィ)編集長の鈴木暁さんから御礼と休刊のご報告としてメールを頂きました。
私の方で勝手に誌面を記事として取り上げていて、むしろご迷惑をお掛けしてしまったのではないかと思っていたので、御礼というのは大変恐縮しました。

安藤裕子が最初に取り上げられたNuugyについての記事を私がこの風音で書いて以来、Nuugy様からはこれまでも何度かご連絡を頂いていましたが、昨今の出版業界に吹く冷たい風の中でも、その強い理念と熱い情熱をもって果敢に挑まれている姿勢にかねてより敬服の念を禁じえませんでした。
ここまで一つの雑誌が一人のアーティストやタレントに注目し、連続して表紙やグラビアを担ってもらうという例を私は他に知りません。 まして、それが安藤裕子であったということが私には奇跡のように感じました。 それだけ安藤裕子というアーティストのあらゆる面がNuugyのコンセプトと合致していたということでしょう。
鈴木編集長ご本人から掲載の許可を頂きましたので、今回頂いたメールにあったメッセージを少しだけご紹介します。
「安藤裕子さんをピックアップし続けた理由としては、ビジュアルの良さはもちろんですが、彼女のまさに人間らしい部分、物づくりに対しての真摯な姿勢、日本人としての文学を大切にしている思い、そんな安藤裕子さんがもつ魅力を、少しでも多くの女性に憧れてもらいたい、そんな思いからでした。
現日本社会では生きづらくとも、彼女のような信念をもった女性が世の中に少しだけ増えてほしい、また、そんな女性たちがのびのび活動できるフィールドが消え続ける中、新しいフィールドを少し無理してでも提供したい、そんな個人的な思いは変わりませんので、またいつか、安藤裕子さんのようなアーティストを多少なりともピックアップしていくことができるような媒体を生み出すことができればいいなと思っております。」
今回でNuugyは終わりますが、別の雑誌などで再び安藤裕子に注目した企画を立ててくれるのではないかと期待しちゃいます。 きっとやって頂けると信じて待ちましょう。
「Nuugy×安藤裕子」 本当にありがとうございました。 また会う時まで。
2013年11月23日 17:02|
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“To be, or not to be
That is the Question.”
「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ。」
シェイクスピアの「ハムレット」の有名な一節に、振り向く安藤裕子。
“私たちの雑誌の答えはここにある”とばかりに、広い部屋の真ん中に安藤裕子を据えた表紙は強い主張が感じられてインパクトがあります。 と同時に、深読みをすれば、最後まで何かに納得せず、迎合せず、抗い、疑問を投げかけているようにも感じられます。

この「Nuugy ヌージィ 2013 WINTER VOL.011」をもって、Nuugyはファイナルとなります。
以下に、休刊(廃刊)を告げるメッセージを引用させていただきます。
日本の女性って、世界的にも美しい民族だと思う。本当にお洒落な人種だと思う。
女性は永遠にお洒落の感覚をもっと大切にして、もっとお洒落を楽しんで欲しい。
そんな思いから「そう、日本の女子は世界で1番美しい」というワードをテーマに、
生まれもった日本人の透明感や素肌感(ヌード)を大切にしつつ、髪や服やメイクで
ちょっぴりモードなスパイス(エッジィ)を加えたお洒落感を提案し続けました。
(中略)
「出る杭は打たれとも、杭の後には深き跡残る」
またいつか、少数派のみなさまのワガママな要望にお応えする存在として、
この生きづらい世の中に何かのかたちで戻ってこれたらなと思っております。
安藤裕子が表紙と巻頭グラビアを飾りつづけてきた奇跡のような貴重な雑誌。
「Nuugy×安藤裕子」ファイナル。ありがとう。さようなら。
安藤裕子の軌跡をつづる連載の「Follow The Tracks of Yuko」は、やはり第三回と第四回の合併号となり、雑誌のインタビュー記事としてはとても長いものになっています。
以下は、記録しておきたいところを部分的に箇条書きでピックアップしてから、意味が通るように編集して繋げてみたものです。 なので、語られた言葉そのままでもなければ、全体からするとほんの一部ではありますが、”安藤裕子の今の心境”を垣間見ることはできると思います。
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Nuugy(以降N) (3人で作ってきた音楽がひとつ出来上がったなという心境になったアルバム『chronicle.』以後)当時やっぱり何か大きな心の変化がありました? シングルを結構長い間リリースしていませんが。
安藤裕子(以降Y) シングルとかアルバムを出すっていうのは、私の意図じゃなくて、会社の意図だから。 普通にシングルっていうものを出す市場が無くなってきたっていうのもあったんでしょうね。
アンディ(以降A) ちょっと休みたかったんじゃない? 裕子が。 制作よりライブのほうにシフトしてた時期なんじゃなかったかな?
N アコースティックは16公演ですね。
Y 本当にもうツアーに出る度に体調崩して胃腸炎にもなったりして。 どおりで当時痩せてたはずだよ。
A そういや痩せてたよね、あん時(笑)。
Y ベスト盤を境に気持ちが追いつかなくなっていったというか……。
A 『JAPANESE POP』は初めてベニーとやったんだよね? なんか明らかに『chronicle.』とは毛色が違うっていうか、湧き出てくるものでどうのこうのじゃなくて、作ろうとして作った感じがあったんだよね。テクニカルになってきたっていうか。
Y デビューしたての頃とか『chronicle.』ぐらいまでってキラキラしたものを求めていて、ポップスというものをかたちにしようって思っていたんです。 だけど、徐々にライブに音楽の重きを置くようになってきたからかもしれないんですけど、だんだんその中に私小説的なものが増してきたというか。 やっぱりライブって裸で対面するじゃないですか。 感情と。 だんだん疲弊してきちゃったところがあったかな。 これ以上何をさらしたらいいのかなって……。 体に影響が出るくらいまで精神的にきてしまって。 その中での作りモノだったから……。
N 数年前からライブで安定したパフォーマンスをするためにボイトレも本格的に始めたといっていましたが、それはずっと継続して?
Y ボイトレの他に当時バレエを始めて、体幹を鍛えるみたいなことはしてましたね。 当時はライブが本当にツラくてご飯もしっかり食べられない状態で痩せてしまったりもして。 今となっては痩せてた頃が色んな意味で懐かしいですけど……(笑)。 今は逆で高校生並みに太っちゃって、なかなか痩せられないとか最近よく話していて……。
N ボイトレってそれまでは通っていなかったの?
Y うーんとね、その前だとデビュー前になるのかな。 デビュー前にちょっと行ってたんだけど、さぼってばかりで。 先生が優しい女の人で、私はその人が好きで。 ボイトレというよりほとんど話に行ってたって感じ。 悩み相談みたいな。 今のボイトレの先生が違うのは、体を作り変えることから始めるから、そこは違うよね。

N 2010年の12月にNuugyで初めて表紙に出てもらいましたね。 インタビューにも応えていただいて。 当時、結構心配しましたよ。 もうちょっと人間らしい生活したいわ、みたいなことを暗い顔で話してて。
Y うん。 その頃は辞めようと思ってましたからね。 半分本気で。 あの撮影とインタビュー辺りを最後にちょっとお休みをいただいて、2ヶ月ぐらい休んでました。 とにかく自分をオフにしたくて。 このままだととにかく道が目の前に1本もないから。 どうするべきか、どこに行くべきか道がまったく定まらなくて。 だからね、それまでずーっと何年も行ってなかった外国とか行って、違う空気を吸おうと思って。 モロッコに行っていました。
Y ライブとか先の予定は当然既に決まっていて、でも自分の中ではもうどうだろう?とも思っていて。 子どもができたんですよ。 ちょうどね、3.11の地震がある頃、子どもがお腹にいることがわかって。 それとほぼ同じくらいの時期に、私を育ててくれた最愛のおばあちゃんが倒れてしまって。 子どもができてすごくうれしいと思った途端に、一番大切な人が死にそうになってしまったから……。 なんかこう、自分のせいでおばあちゃんが死ぬんじゃないかって思ってしまって……。 あの頃が自分にとって最悪の時期だったのかもしれないですね。 妊娠が分かった途端に大地震があって……。 私、ビックリして気絶してしまったんです。 家に1人でいたらあの地震があって。 気絶って本当にするんだなって。
Y 私、妊娠性のひどい湿疹が出て、首下から、ちょうどハーフパンツぐらいのラインまでドドドって全身に出ちゃって。 お医者さんが体見て「うわぁっ」とか言って。 「もうこれは1万人に1人ですね」って。 何か触れるだけで信じられないほど痒くて。 痒いだけじゃなくて痛痒いんですよ。 寝てても目が覚めちゃうくらいの痒みで、家ではもうほぼ裸で暮らしてました。
N 万全じゃない中での出産、母子ともに健康で本当に何よりでしたね。
Y そう。 ちょっと早産だったんですがね。 でも、もともと赤ちゃんが大きかったから。 早産でも3千グラム越えてたってほど(笑)。 出産時、出血も結構すごくて、私の母親は「あ、やだ、この子死ぬんだわ」って、その黄土色になっていく私を見て思ったって後から言われたくらいで。 結構大変な出産でした。
N 大人のまじめなカバーシリーズ。 どうしてカバーを?
Y カップリングで趣味も半分あって、カバー曲をやっていたんです。 結構長くカバーをしていて。 そしたらある時期からやたらと他の人もカバーを始めているなって思って。 なんか、世の中的にブームになって、バカ売れしてたんですよ、カバーアルバムが。 こちらとしては毎回まじめにカバーをやってるのに、「あれはただのカラオケじゃん。 もう冗談じゃないよ」ってぶーぶー言ってて。 世の中、カバーアルバムという名のカラオケアルバムが死ぬほど出るようになってるんで。 もうあれ悪の根源だよね。
A なんのひねりもないね。
Y なんじゃそりゃ、カラオケ大会か!みたいなね。 っていうことで、タイトル的には『大人のまじめなカバーアルバム』ってことです。
N 『勘違い』のライブ、東京の国際フォーラムでは満足なパフォーマンスができませんでしたね。
Y 本番が始まって舞台に立ったら目の前が真っ暗で。 ポツーンと舞台に1人で立っていて、音はどこか遠い所から鳴っていて。 なんかすごい寒いんですよね。 人の目線だけがいっぱい見える、暗闇の中に目だけがある、みたいな。 それで途中で出て行ってしまったんです……。 裏では過呼吸みたいになってしまっていて。 自分で呼吸が整えられなくて。 少しだけ落ち着いてから1曲歌いに出たんですけど、やっぱりダメで。
A 多少の事故が起こっても、まあもう任せるしかないのですが、あの時だけはちょっとただごとじゃなえなと思って、裕子が舞台袖に引っ込んだ瞬間すぐ行ったんですよ。 走って。 そしたら裸足だった裕子が体育座りして靴下履いてて。 どうしよう、歌えないとかパニックになってるわけでもなくて、黙って靴下をこうやって履いてたんで、なんか気が変になっちゃたっぽく見えて。
Y なんかもう寒くて寒くて、もう死にそうだったの。 まだいろんなことが咀嚼できてなかったんだと思う。 子どもができて、地震があって、おばあちゃんが死んで。 なんかこう、一緒に築いてきたものがバババって崩れていったというか……。 妊娠中に体調不良でライブを中止するに当たって、いろんな信頼関係みたいなものも崩れてしまって……。 もう1回ちゃんとやり直さなきゃって思ってはいたんですが……。

N 出産前後の沼にハマっちゃっていく感じからは前向きになれた?
Y そうですね。 ちょっと前とは違う、新しい場所にいるというか。 リスタート感はありますね。 なんだろう。 前ほど怖くないんですよ、舞台が。 何を境にそうなったのかは未だにちょっと思い出せないんですけど。
A あの日フィルとのオーチャードでの公演が結構大きかった気がするんだけどな。 とにかく勝手も分からない中でやってさ。 リハもすごく短かかったし、本当にこんなんでやれんのか?みたいな。
Y うん。 それもあるかもしれないですね。 ああいう楽しいイベントを挟んだのが良かったのかもね。 NHKホールとか、オケとやることだったりとか。 そのイレギュラーに舞台を楽しめたのが、なんか良かったのかもしれないですね。 前に進める感というか。
N 今の自分はギアがニュートラルな状態なんだと思うのかな?
Y うん。 今ちょうどそう。 今後の自分はどういう感じにしたらいいかは分からない。 こっからの自分はまだ全然よく分かんないですけどね。 たまに、アンディが出したコード進行のアイデア先行とかで曲を作ったりするんだけど、ああいうのをなんか『安藤裕子』とは別名義でやってもいいのかなって思うし。 今でもその私小説的なものに疲れてしまうところがあるから、そういうまったく別のフィールドでの作業もいいんじゃないかなって思って。
Y なんかね、前はほんとにピリピリと、何をするにもすごい神経を張り巡らせていたんですよ。 今はその意識を全部捨ててるところがあるんですよ。 頑なな意識は解きたいなっていうのがあるんですよね。 なんだろうなあ、ギューってしていたから今はこう緩和というか、弛緩というか、そういう感じなの。
N 10年を振り返ってどうでした?
Y どうだろう? 長くは感じてないですね。 ただ、疲労感はなんかありますけど……。 まあ私はちょっとこう、慣れないことに疲れ切ったところはあったけど。 もうちょっと肩の力を抜いて、また10年後に普通に歌っていられるように、自分を整えようかなという時期だと思いますけど。
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もちろん上記はインタビュー記事のほんの一部ですが、これだけでも安藤裕子の『choronicle.』以降の壮絶さが伝わってくると思います。 あの頃の2010 アコースティックライブで、「去年は自分との戦いの日々でした。それは年齢的なものからくるものなのかどうかわかりませんが… こんな歌しか歌えないのならやめてしまえ~と思ったり…」や、自分は「おばあちゃんコンプレックス」だと語っていたり(亡くなる前のことです)、そう語っていたねえやんはなんとも悲壮感が漂っており、とても痛々しく見えたことを思い出します。
2009年のベストアルバムリリース時、異常に痩せていましたから、てっきり無理なダイエットでもしているのかと思っていましたが、そうではなく自分との格闘の結果だったのですね。 このままミュージシャン「安藤裕子」は燃え尽きるのか否か。 それこそ今回のNuggyの表紙の言葉通りだったのかもしれません。
『JAPANESE POP』の毛色が違うなというのは私もすごく感じていました。(参照:JAPANESE POP アルバム印象) 良いとか悪いとかではなく、なんとも首をかしげざるを得ないといった印象でした。 『chronicle.』から時間が経ち、満を期してのリリースであり、また、『JAPANESE POP』というタイトルは堂々としていたりするのに、その中身はどこか自信がなさげで、極端に言えば、これまで知っていた安藤裕子の音楽ではなく、他の誰か知らない人の音楽をなぞっているかのようでした。
人生の闇や深みに嵌り、もがきつつ奏でようとする音楽は非常に重く、死の静寂させ思わせるようなこのアルバムが正直私は苦手で、「Dreams in the dark」がクリスマスソングだなんてことにさえ気づかないほど、このアルバムを聴くのを避けてきたぐらいです。 『chronicle.』までの、安藤裕子の深い思い入れをもって作られた、キラキラでありつつちょっぴり切ない曲が大好きな私には、『JAPANESE POP』というアルバムは、安藤裕子の当時の心境を映したアルバムではあったのでしょうが、なんだか必要に迫られて、いろんなアーティストを巻き込んで無理くり作ったアルバムのようにも思えたのでした。
現在、ようやくリスタートできたということで、アルバム『グッド・バイ』の出来がそれを十分物語っていますね。
安藤裕子にとって『choronicle.』後の、
[ベスト盤→妊娠発覚→震災→祖母の死→妊娠ツアー中止→出産→『勘違い』東京失敗→秋の大演奏会+日フィル共演]
この流れが、安藤裕子のリスタートもしくは再生(rebirth)のために与えられた試練だと俯瞰してみれば、全てが重要な意味を持ち、代えがたい経験であったとみることができます。
これからも多少の迷路や浮き沈みはあるだろうけれども、以前よりはそつなくやっていけるでしょう。
それにしても安藤裕子という人は、自身が生まれるときも、自身が命を生み出すときにも死にかけるとは…
最近のねえやんがラジオなんかで、達観したような死生観を含んだ言葉を口にするのは、それなりの重みがあるのですね。
2013年11月16日 18:10|
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