4. つぶやき

『海原の月』 PVロケ地 No.2 岸壁海岸篇

『海原の月』 PVロケ地 No.1 行川アイランド篇 からの続き

封鎖された行川アイランド入口トンネルからそれ以上先へは進めないので、園内での撮影シーンは絶望的でした。 ということはつまり、そこも『海原の月』 PVロケ地として利用されたであろう、園内のその先にある岩場の海岸へも、ここからは辿り着けないということになります。

地図を見ると、どうも「浜行川」という漁港側から岸壁伝いに廻り込めるのではないかと判断。
「よし、行けるところまで行ってみよう!」 


大きな地図で見る

このPVロケ地探索、天候は最初からずっと不安定でした。 カンカンに晴れたり、小一時間の間に風とともに雨が降ったり止んだりを繰り返しました。

港に辿り着いたときには雨混じりの潮風が全身を横殴りに吹き付けてきましたが、霞む先数百メートルに岬が見えていて、あそこをとりあえず目指すことに決めました。

港では網を直している漁師のおじさんに声をかけ、一応向こうの岬までここから辿って行けるかを確認。
おじさんは、「行けるには行けるけど、岩場がすべるよ」とのこと。

果たして、あの見える岬のさらに先にあるであろうロケ地まで辿り着けるか? まったく不明のまま、岩場に神経を集中させながらテクテク歩いていくことにしました。

それにしても、まあ、フナムシの多いこと、多いこと。 私が一歩岩場の上を歩くたびに、その先で大小様々な百匹近い「まっくろくろすけ」がゾワゾワァ~って一斉に散るような、凄まじい様でした。 
(まっくろくろすけと一応美化しましたが、実際のところは大量のゴ○○リです)
さすがのねえやんも、PVメイキングビデオ中で、おぞましいものを見るかのごとく怖がっていましたね。

岩場は、すべることもそうですが、足を置くごとにグラグラゴロゴロ動くのでそれが怖かったですね。
そうやって岩をゴロゴロさせながら歩いていると、なにか建物の跡のようなコンクリートでできた少し高くなっているところから、私の接近に驚いたのか、急に大きな鳶が羽ばたき舞い上がりました。
瞬間、イヤーな予感がしました。

「ぅあー、なにかあるな…」 私の幼少期に、地元の海でこれに似た経験があったからです。

コンクリの上に上がってみました。 すると、やはりありました。
頭が半分以上食われて無くなった大きなウミガメの青くなった死骸でした。
幼少期のときは、大きなアザラシの死骸でしたので、それに比べればショックはまだ小さかったのですが、やはり気分はブルーに。

やがて、海側から雨が激しく叩き付けるように降ってきました。 折り畳みの傘でも持ってくればよかったと思いましたが、風が強くて結局は役に立たなかったでしょう。 私は汗拭き用のフェイスタオルを頭にかぶり、ひたすら岬を目指し岩場を前進していくのでした。

まるで何者かが行く手を阻んでいるかのごとく雨脚が強くなり、びしょ濡れになって弱気になると、少し手加減をするかのように小雨になったり。 数百メートル続く岩場を歩く間にそんなことが何度も繰り返されました。

ようやく岬に辿り着くと、そこには小さな赤い鳥居が海原を見つめるかのように岸壁沿いに立っていました。
不思議と何度も激しく降り注いだ雨は、この鳥居がつくる結界を破ろうとする無礼な私に対して、ここにいる神様が禊を求めたのではないかと、ふとそんな気がしました。

岬の周りは少し平らで広い岩場があり、なぜか大きな生簀のような古いコンクリート製の人工物もありました。
波打ち際はわかる範囲で数十メートルほど浅瀬が続いていました。 (実際は数百メートルかもしれない)
PV中でも、ねえやんが海の上で椅子に座っていましたね。(桟橋のような人工物の上でしたけど)


PV中、短いカットで登場する岸壁。 右のカットは下の写真の岸壁の向こう側(反対側)から撮影したものではないかと思うぐらい似ています。


上のPV中に登場する岸壁に似ている。 この岸壁のその先がおそらくPV撮影現場だと思われます。

岸壁のその先に行きたくて、少し足に波をかぶりつつもギリギリまで行ったのですが、残念ながら軽く泳いで渡らない限り無理のようでした。 そこへ行くまでの間にも、何度も強い雨がたたきつけてきました。
本当に不思議な感じで、一歩一歩進むたびに、まるで「行くな、行くな」と言われているようで、短い間隔で雨が激しく降ったりやんだりするのです。

あともう一歩のところだったのですが、あきらめざるを得ませんでした。
そろそろ帰らないと潮が今より満ちて帰れなくなるんじゃないかという心配もあったのでそのまま引き上げることにしました。

帰り道には雨も弱まり、港に辿り着く頃には海の向こうの空が少し明るくなったのでした。


行川アイランドは、日本有数のアジサイ園でもあったらしく、近くには夏の盛りだというのに紫陽花がひっそりと日陰に咲いていました。

自然は、晴天の美しさ、生命の輝きを見せるけれど、同時に、激しい雨と風、そして命の残酷な終わりを見せつけもします。

そして人の世も始まりと終わりがあり、その間に様々な命のドラマがあります。 生と死を包含するこの世の摂理を、都心からそうは離れていないこのロケ地巡りの小さな旅で私はわずかに体感できたような気がします。

堤幸彦監督は、漂うクラゲを生命の象徴として、映画本編だけでなく『海原の月』のPVにも登場させ、生命の愛おしさを奏でていました。
「泣ける4コマ漫画」を原作にして「泣ける夫婦愛」を描いた映画『自虐の詩』として昇華させることが出来たのも、主題歌『海原の月』の力添えがあってこそでしょう。
自ら『海原の月』 のPV監督までしたわけですから、この曲に対する思いはかなり強かったのだと思います。

実は、堤監督は20代の若かりし頃、奥さんと死別されています。
病気になった妻を支え、治療費を稼ぐために身を粉にして働いた日々や、結局は亡くなってしまった奥さんとの思い出を美しく留めるため、自らの映画とこの『海原の月』 という曲が必要だったのではないか?
私は勝手にそんな風に思っています。

それでは、安藤裕子の至極の名曲、『海原の月』 のPVをあらためてご覧いて、『海原の月』 PVロケ地巡りの旅を終えることにします。

安藤裕子 / 海原の月

『海原の月』 PVロケ地 No.1 行川アイランド篇

2007年8月4日 「海原の月」 Promotion Video Shooting、あれからちょうど5年後になる今夏2012年8月4日に、私は同日行われていた、安藤裕子も参加していた「ROCK IN JAPAN FES.」に足を運ぶことなく、勝浦の海と緑に会いに、日差しと雨と波と風にもまれてきました。

「海原の月」 PVロケ地は、PVロケが行われた翌年の夏から毎年行こう行こうと一度は心に決めるのですが、「やっぱ遠いなぁ」、「場所がけっこういわくつきだなぁ」、「どうせ閉鎖されちゃってるんでしょ」などと自分に言い訳をして、いつも8/4の直前であきらめてきました。
でも、ここに行かずして、これまで不定期にでもやってきた安藤裕子「聖地巡礼」シリーズは成り立たないぞと自分に言い聞かせ(笑)、今年は気合いを入れた次第です。

行川アイランド
行川アイランド入口正面や駐車場のあたり

海原の月PV
このPV映像の場所は、雰囲気は似ていますが、山向こうの園内側だと思われます。

「海原の月」の主なPVロケ地は、千葉県勝浦市にかつてあった、1960年代にフラミンゴショーなどで有名だった南国風の動・植物園としてのレジャー施設「行川アイランド」(なめがわあいらんど)の跡地というか、建物などはほぼそのまま残されている廃墟です。

その名もずばりの「行川アイランド駅」という駅名から往年の賑わいを感じとれる無人駅があり、そこで外房線の列車を降りて道路を渡ってすぐのところに廃墟は存在します。 まさに人っ子一人いないところでした。

ただの廃墟でも怖いのに、この周辺は、昔からかなりの「いわくつき」の地だったのです。 (周辺住民の方、申し訳ございません)
この近くに「おせんころがし」という断崖絶壁があるのですが、その名の謂れそのものも悲しい物語をもっていますが、さらにその名のついた1952年におこった悲惨な連続殺人事件の舞台の一つでもあるということで、霊感体質がわずかながらある私はビビりぎみであるわけです。

海原の月PV海原の月PV

とりあえず、行川アイランド入口ゲートのところで、スマートフォンにあらかじめ取り込んでおいたムービーの確認をしていたところ、上のPVやPVメイキング映像と、ちょうど今、目の前にある光景が同じであることに、ハッと気づいてびっくりしたのでありました (笑)

行川アイランド 入口ゲート
5年の歳月で、錆びやら塗装の剥げなどの劣化が進んでいます。

ねえやんがいた改札ボックスに入り込んでみると、写真ではわかりにくいですが、大きな蜘蛛の巣が張っていました。 ねえやん目線で見ると、正面は入園券売場になります。

堤幸彦氏の映像マジックで神秘的に見えていたせいか、私は、安藤裕子ねえやんが、なにやら不思議なお風呂みたいなものに収まっているように見えて、まさかあれが改札口だったとは気づきませんでした。
(これ私だけ?)

ゲートを抜けて左に行くと、いよいよ山向こうにある行川アイランドへの入口となるトンネルが現れますが、悲しいことに立入禁止の立て看板とともに封鎖されてしまっています。
行川アイランドは2001年の8月の終わりに閉園されているので、2007年当時のPV撮影チームは特別許可をとって入ったのでしょう。 私も許可をとれば入れた? 誰に許可とるんだろ (笑)

行川アイランド トンネル

かつてここは軍事施設であったらしく、その名残として園内に多くあるという洞窟(トンネル)は弾薬庫だったとのことです。
そういえば「海原の月」のPVとPVメイキング映像中に謎の小さなトンネルがいくつか出てきてましたね。

海原の月 トンネル

ここまでが、行川アイランドでの探索となります。

もちろん、来る前から行川アイランド跡が封鎖されていることは知っていたので、ここでは、正直ほとんど何も得られるものはないだろうとあきらめ半分でいたので、改札口のところの発見は思わぬ大収穫でした。
あと、PVのメイキング映像中のロケ地で激しく鳴いていたセミの声の同じさ加減にも地味に感激。

次は、 『海原の月』 PVロケ地 No.2 岸壁海岸篇 に続きます。

『アフリカの夜』からの妄想

今日の 安藤裕子 My Room の画像に写っている楽譜とともにに見える 『アフリカの夜』というタイトル。
新曲だね。 身重ながらも、着実に音楽活動に邁進するねえやんカッコイイ。

安藤裕子 『アフリカの夜』

こういう写真をチラりと垣間見せてくれるだけで、私は十分にワクワクして妄想する。

この曲はいつ頃から作られていたんだろう。
ねえやんは実際にアフリカに行ってリアルに感じたことを歌っているのだろうか。
それとも、「星の王子様」的に幻想的な児童文学のように仕上げたメルヘンチックな楽曲なんだろうか。
まさか、昔やってたドラマ『アフリカの夜』が好きだったから、なんてことだったりして。 (あり得るなぁ~)

安藤裕子から小さく生まれた曲たちは、アレンジャー、ディレクターを経て、楽器奏者の手に渡る頃には形を成して大人になる。 そこから安藤裕子、リスナーとともに感動を重ねて歳をとり、演奏されるたびにアレンジが加えられ、さらに味わい深い曲へと成長していく。

音楽制作をはじめ、「ものづくり」ってほんと楽しいね。 世界が広がる。

ブログ内検索


カテゴリー

最近の記事

アーカイブ

フィード

* RSS 2.0 Atom

 

    ucadkids