その後シングル3枚をリリースし、セカンドフルアルバム『Merry Andrew』にむけて曲づくりに励んでいた。アンディが、サリーの時のようにもっさんと共作で作曲することを提案する。安藤裕子は自身の祖母の散文詩を思い出していた。安藤裕子の祖母が、先立ってしまった夫のことを思い、書いたものであった。
ある日、アンディの元にCM制作者から安藤裕子の新曲を尋ねる連絡が入る。ちょうど手元には「のうぜんかつら」のデモがあった。まだアレンジ前の状態のものだったが、そのデモを聴いた担当者は「このままを利用したい」ということで、放映されたCMではデモ音源そのままが利用されることになる。
月桂冠「つき」という日本酒のテレビCMだった。永作博美が出演する、印象的な映像と30代夫婦の短いストーリー。そこにせつなく流れるピアノ伴奏の安藤裕子の歌声。またたく間に「歌っているのは誰か」の問い合わせが月桂冠に殺到した。
2006年1月、のうぜんかつら(リプライズ)を収録したセカンドフルアルバム『Merry Andrew』がリリースされる。オリコンチャート10位を記録。アルバムはヒットした。
こうして安藤裕子は多くの人にみつけてもらえた。
『Merry Andrew』から約1年後の2007年2月、3枚目のフルアルバム『shabon songs』がリリースされ、ディレクター安藤雄司を中心とした音作りバンドとしての結束力が高まる。その結束を「チームアンディ」と呼称し、よりバンド的な音楽性が強まった。
話は前後するが、『shabon songs』リリースより前の2006年、安藤裕子にとっての恩人である堤幸彦監督の新作映画『自虐の詩』の主題歌の依頼がある。安藤裕子としては初めて映画主題歌のための曲作りを経験する。これまで既に出来上がった曲を主題歌に採用されることはあったが、今回は一から映画音楽を制作することになったのである。けれども、元来、映画制作志望だった安藤裕子は堤監督の要望を見事に実現。そして名曲『海原の月』が生まれた。
堤監督は映画の舞台挨拶で「これは安藤さんと私の勝負作かもと思ってお願いした」と語った。その言葉どおり、『海原の月』は安藤裕子のシングル最大のヒット曲となったのだった。
2008年から2009年は、ライブ活動に力を入れた。ライブの緊張感を苦手とする安藤裕子が、自らに鞭打ってライブツアーに比重をおいて活動をする。(決してライブが嫌いなわけではない)
2008年の1月からスタートしたアコースティックライブは、これまで続けてきたバンドライブとは違った趣きがあり、人気がある。低料金というメリットもあるが、なんといっても安藤裕子本人の歌声をアコースティックのシンプルな伴奏で、より生声に近いかたちで、そしてゆったりと席に座って聴くことが出来るからだった。
また、同年夏には、ライブツアー最終日(追加公演)にて、安藤裕子としては初のC.C.レモンホール(渋谷公会堂)におけるバンドライブDVDの撮影も行われた。
2009年1月からは、怒涛の13都市14公演のアコースティックライブツアーを行う。そして、安藤裕子はデビューから7年目になるこの年に初のBESTアルバムをリリースする。そのBESTアルバムを引っさげて夏のライブがおこなわれ、その最終日は安藤裕子のこれまでのライブ会場最大の約5000人収容の東京国際フォーラム ホールAでの開演となった。
2010年9月、5枚目のオリジナルアルバム『JAPANESE POP』がリリースがリリース、さらにそのアルバム名を冠したバンドライブがその年の冬におこなわれた。それからライブ終了後より1ヶ月以上、安藤裕子は「休息」として一度全ての活動を停止する。そして、休息からの復帰後の2011年5月、アコースティックライブツアー中にダウン。その後、安藤裕子の妊娠が発表され、一部の会場を除きツアーは中止となった。
2012年、NHKの連続ドラマや民放ドラマの主題歌にも曲が採用され、6枚目のオリジナルアルバム『勘違い』をリリース。同年11月には東京スカパラなどが参加し、ホーンやストリングスを加えての『秋の大演奏会』なるライブも行われる。
安藤裕子デビュー10周年となる2013年の記念碑的イベントとして、2月にフルオーケストラと共演する夢のコンサート『Billboard Classics 安藤裕子×西本智実スペシャルプレミア・シンフォニック・コンサート』がBunkamuraオーチャードホールで開催された。
7枚目のアルバムリリースが控えている今も、ボイストレーニングはもちろん、バレエレッスン、最近ではヴァイオリン教室まで通うなどして音楽への新しい挑戦を続けている。
参考文献
バイオグラフィー01>バイオグラフィー02>バイオグラフィー03
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安藤裕子ニュース