安藤裕子は、シンガーソングライターである。ただし、本人が自身を指して称することはまずない。むしろその言葉をどこか敬遠している節がある。自身への見方を固定化され、偏見を持たれることを頑なに拒む面と、また裏腹に、ただひたすら臆病と謙遜により冷めた気持ちで自身を見つめる気持ちとが入り混じり、その言葉に対して妙な居心地悪さを感じているのかもしれない。
安藤裕子の音楽は、作曲-作詞-歌唱の段階を律儀に踏んで生まれてくるようなものではなく、作曲-作詞-歌唱のすべてが小さく一緒に纏まって、安藤裕子の日常生活からそよ風に乗せて運ばれてくるような繊細なものである。楽譜は書けず、音楽理論云々をあまり知らない安藤裕子だが、その口元からアカペラで自由に生まれ出てくる詩と旋律のカケラたちは生き生きときらめいている。
もちろん、そのままでは商業ベースの楽曲とはならないから、そのきらめくカケラを拾い上げ、カケラをカタチにしてくれる人を必要とする。それがアレンジャーの山本隆二氏である。彼は安藤裕子のこれまでの楽曲のほとんどを担当してきた。
プリプロダクション(プリプロ)という、曲構成、編曲、テストレコーディングに至るまでのこの準備作業を、安藤裕子、アレンジャーの山本隆二、プロデューサーの安藤雄司の三人でおこない、その後、参加アーティストを選定し、レコーディングに至る。
安藤裕子の音楽性といっても、実に多彩だ。知れば知るほど捉えどころのないアーティストだと感じる。
「サリー」、「TEXAS」のような完成度の高いミドルテンポのポップな曲から、高揚感のある「パラレル」、「黒い車」。しっとりと聴かせる「のうぜんかつら (リプライズ)」、「Summer」。また、荘厳に謳い上げる「聖者の行進」、「The Still Steel Down」など。
これらの多彩な楽曲の源泉をたどれば、安藤裕子が素の人間としての多面性を隠さないまま、日常生活においての、起伏をもって移ろう感情の機微に行き着く。時に社会的であったり、時に嫉妬であったり、時に歓喜であったり、時に悲嘆にくれていたりもする。
しかし、安藤裕子は、むき出しの感情そのままを表現するのではなく、それら稚拙な感情をいったんは飲み込み、間を開け、やがて成熟した感情となったときに、その口元から唄となって溢れ出てくるのではないかと想像される。安藤裕子の曲がいずれも棘棘しさがなく、人の耳に心地よいのはそのためではないか。そういう意味で安藤裕子の曲には聴き手に対しての優しさを感じる。
基本的に、安藤裕子の創作活動は、上記のように日常生活の中でそのきっかけとなるメロディが生まれ、それからプリプロルームに籠もり、安藤裕子、山本隆二、安藤雄司の三人での音づくりをしていく。この基本パターンでデビュー以前からずっとやってきた。
安藤裕子はテレビにはほとんど出ない。地上波の有名な音楽番組にいたっては現在は皆無である。極端な「緊張しい」の安藤裕子への事務所社長の計らいである。
CDを発売するタイミングなど、レーベルの営業サイドからのプレッシャーはあまり無いようで、かなり自由にさせてもらっているようだ。安藤裕子いわく、「自分はとても恵まれている」。
制作した曲が溜まってきて、そろそろ出そうかとなったらアルバムを出し、なにかタイアップや依頼があったときに曲をつくり、それがシングル化される。他のアーティストに比べるとまったくのマイペースでやらせてもらっている感じである。
近年は、冬のアコースティックライブ、夏のバンドライブのパターンでライブ活動を行っている。ライブ前は毎回吐くほどの緊張をし、今だ拭いきれない苦手意識があるというが、しかし、ツアーの終盤になる頃には、ツアーの終了を惜しむぐらい、ライブを楽しめるようにもなってきている。それは、ライブツアーの中で、毎回なにか得るものがあるからだという。ライブで気持ちを裸にして人前で歌うということ、歌うことで自分の歌そのものを再確認出来るということ、そして観客からの思いやパワーを得られることで、安藤裕子の中で音楽が新たな意味をもつのではないだろうか。
安藤裕子の名で出している曲がすべて安藤裕子の作曲かというとそうではない。アレンジャーの山本隆二との共作であったり、他のアーティストにすべて作曲してもらったものもある。ただ、他のアーティストに作曲してもらった場合でも、安藤裕子の意向が届きやすい山本隆二の編曲により、作曲者が驚くほどに曲のイメージが変わってしまうこともあるという。
また、他のアーティストの楽曲にゲスト参加させてもらう"フィーチャリング"という立場で参加することもある。ただし、その場合、ほとんど作詞は安藤裕子自身でおこなう。感情移入できない曲は歌えないということを考慮してもらっているのだと思われる。(その詞に対しての依頼アーティストからの評価も高い)
安藤裕子のシングルには過去の有名な曲のカバーがカップリングとなることが多い。とくに80年代の隠れた名曲が多い。安藤裕子の目指す音楽に近いところが、70年代~80年代のポップスであることから、その良質なエッセンスを吸収するのによい機会となっているのではないだろうか。
最近は他のアーティストに自身の詩や楽曲を提供することもある。 安藤裕子もエラくなりました。
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